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2009年6月15日 (月)

もう一つのヨコハマ

ちょっと前からであるが、横浜の歴史が面白く、色々な本を読んだり、その痕跡を実際に訪ねたりと言うことにハマっている。

横浜は根岸線の線路、または平行して地下を走る首都高を挟んで、海側と山側で様相が違う。かたやみなとみらいや横浜公園、中華街と言う観光地や官庁街、かたや庶民の住宅と下町っぽい街並みである。これには歴史的な理由がある。

海側は開港場であり、外国人居留地であった。そこの外国人を保護する目的で、海側と山側の間に堀割、橋、関所が設けられ、その関所の内側が関内、外側を関外と呼んだ。

つまり、海側は積極的に海外のものを受け入れて変わる地域、山側は言わば日本人のネィティブが住む地域、と言う区分けが、過去に意図して作られたのである。

だから確かに港ヨコハマとしての異国文化に溢れた魅力は海側にある。

しかし、横浜の歴史を知るには、もう半分の横浜も知っておく必要がある。

折しも開港150年と言うことだが、横浜には開港のみでなく、その後に変貌を遂げる原因になったいくつもの試練がある。それは大火であり、関東大震災であり、戦争であり、その後の米軍による接収の歴史である。

それらの数奇な歴史の中でたくましく生き抜いてきた横浜の、本当のエネルギーは、実は山側にあるのではなかろうか。

この写真は桜木町近くの大岡川沿いにある、「都橋商店街」。

間口一間の飲み屋がひしめく長屋には、まだ戦後の臭いが残っている。

もう一つのヨコハマ
もう一つのヨコハマ posted by (C)TODO

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