人間は遺伝子の乗り物ではない
愛、強い思い、情熱。
それは測定することも出来ないし、目で見ることも出来ない。
しかし確かに存在して、それが人を突き動かし、ひいては世の中を動かしていることは事実である。
以前私は人間は遺伝子が乗り物として使っている肉体に過ぎず、人間の色々な衝動は、利己的な遺伝子に操られている結果に過ぎないと思っていたことがある。
しかし、最近私は、愛とか思いとか情熱とか、人間を突き動かすそれらのものは決してDNAの下等な衝動や脳の電流現象だけでは、それらが存在することは証明できないのではないかと考えるようになった。
何故人は音楽を聴いたり、映画を見たり、写真を撮ったり、踊ったり、本を読んだり、神に祈ったりするのだろう?
これらを遺伝子がさせているとは到底思えない。
つまり、「心」とはなんぞやと言うことだ。
ところで、こんな記事があった。
リンク:愛が時空を越えることが証明された? Lifehacking.jp
離れた部屋にいるカップルの片方が、「愛情や深い気持ち」を相手に送ると、相手に血流の変化や誰かが耳元でささやいた時のような反応が現れたと言うのである。
「思い」と言うのは伝わるのだ。
ましてや一つ屋根の下にいる同僚や家族であれば、知らず知らずのうちにお互いに強い影響を与えているのだろう。
そこに風土や社風のようなものが生まれ、愛や思いが相乗的に高まった場所に、何か新しいものが生まれてくる。それが人が産み出す産業であり、芸術なのではないだろうか。
やはり人は、単なる遺伝子の乗り物ではないのである。
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コメント
障害者と共にいると
『五感』というものの大切さも
感じている昨今です。
投稿: 葛飾のオヤジ | 2009年5月27日 (水) 22時17分
>オヤジさん
結局さ、「感じる」ことが出来ると言うことなんじゃないだろうか。
それは人間だけが出来る力。
数字で判断するのは機械にも出来る。
人間は、感じることが出来るから、機械と違うのだろうなと思う。
投稿: TODO | 2009年5月28日 (木) 21時59分