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2009年3月 1日 (日)

「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」

「おくりびと」を見るつもりだったのである。

ところが、札幌駅ビルの映画館ではなんと2日前から全席完売。アカデミー賞効果もあるが、今日は3月1日と言うことで入場料が1,000円であることも災いした。と言うことでこれを見た。

リンク:ベンジャミン・バトン 数奇な人生@ 映画生活特集

老人の姿で生まれ、精神は普通に子供から大人に成長するのだが、肉体は普通の人と逆に老人から子供になっていくと言う数奇な運命を背負った主人公とヒロインとの愛。果たしてそれは成り立つのか?

彼が成長していく過程でのエピソードの描き方には「フォレスト・ガンプ」を思い出したし、数奇な運命の主人公の顛末には、「アルジャーノンに花束を」を思い出した。

全体としては長い上映時間に関わらず、それを感じさせない、引き込まれるものがあったのだが、惜しいなと感じたのは、異常すぎる主人公の状態を、周りも主人公自体も、あまりにも簡単に受け入れすぎていると感じられてしまったことだ。

この異常さへの驚きや戸惑い、苦悩と言ったものがもう少し描かれていたら、見る側に共感を与えられたのではないか? その方が、この映画にSF的なセンス・オブ・ワンダーを加味出来て、もっと面白くできたのではないだろうか。

一方、日曜日で満席の劇場は、ほとんどが女性客であった。年代は若い人から中年まで。

さすが主演がブラッド・ピットだと思ったのだが、そうか、この映画はブラッド・ピットを見せるための映画であり、ストーリーや設定は手段に過ぎないのかも知れないと気づいた。

そう見れば、確かに主人公の一生を描いたブラッド・ピットの七変化のビジュアルは見事である。特に少年時代の彼は、CGで皺を取ったりしているのだろうが、まるで当時撮影したかのように、本当に輝くように美しく描かれている。

より若く美しくなっていく男に対して、自分はだんだんと老けて醜くなっていくことの辛さ、残酷さ。この映画を見る女性は、その部分に痛いほど共感できるのかも知れない。

共感が今ひとつ出来なかったのは、私が男だったからに過ぎないのかも知れない。

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コメント

我社の若手社員に尋ねてみた。
(彼は充分に若いので)「もし、キミのおかんが、日々若くなっていたらどうよ?」

若手:「イやですっ!」
小生:「どうして?」

若手:「だって、自分より若くなったら、面倒見なくちゃならないし・・。あっ、でも、どっちにしても面倒見なくちゃならないのか!」

小生:「いい所に気が付いたな!」
(なかなか、物分りの良い青年であった)

投稿: 葛飾のオヤジ | 2009年3月 5日 (木) 23時05分

>オヤジさん

いやいやどうして。
その話こそこの映画のテーマと言うか、オチだったかも知れないですぜ。

投稿: TODO | 2009年3月 6日 (金) 22時06分

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