« 不憫 | トップページ | 軽井沢 »

2008年10月17日 (金)

イメージの表現としての写真

再び、元湯環翠楼で撮った写真の1枚である。

襖と額
襖と額 posted by (C)TODO

実際は襖も額ももっと白っぽかった。写真にもそのように写った。

でも私の中ではこの場所はもっと古くて、古い凄さが感じられる場所だったので、その雰囲気を出すために茶色っぽい着色を施してみた。

だから、実際に見た目とはかなり違う。でもこの方が私が見て感じた印象には近い。

以前は、レタッチして色を加えたりするのは邪道だと思っていた時期があった。でも写真は気持ちを表現することが目的であるとすれば、撮った写真はその過程における素材に過ぎず、それを色々料理することで、自分の伝えたいイメージを作り上げることは何ら悪いことではないと思うようになった。

最近は、撮ること自体も楽しいが、それ以上に撮ってきた写真を取捨選択したり、トリミングしたりレタッチしたりして作り上げて行くことの方が楽しくなってきたかも知れない。

|

« 不憫 | トップページ | 軽井沢 »

コメント

それこそが「芸術」なんですよ。

絵は見えたとおりに画けばいい。
写真も感じたように加工すればいい。

木はいつでも茶色と緑ではないのだ。

投稿: 葛飾のオヤジ | 2008年10月17日 (金) 22時53分

>オヤジさん

いいこと言いますな!
勇気づけられました。

投稿: TODO | 2008年10月18日 (土) 07時12分

TODOさん、Aloha・・!。

フィルムカメラを引きずっている自分は未だ
一発勝負の写真にまだこだわっています・・・(笑。

自分にとっての写真は
・見たままを焼き付けること
・色と光を上手に撮ること

そして、感動した自分の気持ちを写し込む事・・・。

なんです、
でも最近は自分の写真の師匠も
「電線は後で取っちゃえばいいや」
って言っていますし、
自分も
「あれ〜・・・ココってもっと明るかったよな・・・」

って思う事も有ります・・・。

そんな時に”加工”って仕組みが頭をよぎりますが、
「運が悪かった」(面倒くさいから・・笑。)ってあきらめます・・・。

自分・・・、不器用だな・・・(爆。


ではでは、Mhalo。

投稿: jazz | 2008年10月18日 (土) 11時13分

高校の時の美術の授業を思い出した。

教師:「とある画家が、ヌードな女性をモデルにしていたが、キャンバスに画かれた絵は、裸の女性ではなく、山並みであった。」

我々生徒一同:「え~っ!!」
教師:「絵を画くということは、そういう事だ。」

我々生徒一同:「・・その画家、単に、裸が見たかっただけじゃないの~!?」


・・・今、この歳になって思うに、あの時の教師の言葉が、ものの見方になっているかもしれない。

投稿: 葛飾のオヤジ | 2008年10月19日 (日) 07時22分

>jazzさん

確かにフィルムカメラとデジカメでは、シャッターを押す時の「気合い」みたいなものが全然違いますよね。
その「気合い」が写真にも写し込まれると言う部分はあると思います。

電線を後から取るみたいなことは、私は一度だけ砂浜のゴミを消すのでやったことがあります。
なかなかの1枚だったのに、ど真ん中にゴミが落ちていたので、消してしまいました。

デジカメの場合、撮った写真は素材データであるに過ぎないと最近私は思ってきています。

フィルムカメラの時代とは明らかに違う考え方が可能になってきたと言えると思います。

>オヤジさん

先日箱根彫刻の森に行ってピカソの作品をたくさん見てきました。

あの人は人物を写生しても、あの調子ですからオヤジさんの話の最たるものですよね。

自分の心に見えているものを人に伝えられる形で表現することが、芸術なのだと思います。

投稿: TODO | 2008年10月19日 (日) 22時00分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/113165/42818971

この記事へのトラックバック一覧です: イメージの表現としての写真:

« 不憫 | トップページ | 軽井沢 »