今生の課題
人は皆、それぞれの課題を解決するためにこの世に生まれてくると言う。
「課題」と言うと、どうもあまり良い印象がなくて、人生やっぱり修行なのか。とか、苦労しなくちゃいけないと言うことか、楽していてはダメなんだなとか思ってしまいがちである。
しかし、実は天から与えられる「課題」と言うのはそういうものではないらしい。
病気ばかりしていたり、貧乏だったり、異性関係で痛い目を見ていたり、そういう苦労をしている人は、それに耐えて何かを学ぶことが、与えられた「課題」なのかも知れない。
しかし一方では、何の苦労もせずに人生を楽しんでいる人もいる。
そういう人は何の課題も与えられていないのだろうか?
私が思うに、多分、「楽しむ」と言う課題もあるのではないかと思う。
きっと今生で何の苦労もなく楽しく生きることが出来ている人は、過去生において何らかの苦労をしてきたか、そうでなくても「人生を楽しむ」ことを学ばずに過ごしてしまった人なのだ。
そういう人は今生で「お前は楽しむと言うことを学ばねばならん」と神様に言われて生まれてきたのではないだろうか。
そう思えば、楽しむことに後ろめたさを感じることも無く、むしろそれが自分のするべきことであり、感謝の気持ちすら湧いてくるではないか。
さらに、人生を楽しむと言うのは、決して刹那的な人生を過ごすと言うことではないく、真剣に楽しまなくちゃいけないのだと言うことも分かる。
赤塚不二夫氏も、きっとそういう「人生を楽しむ」と言う課題を与えられてこの世に生まれ、見事それを全うしてあの世に帰ったのだと思う。
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