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2008年1月12日 (土)

「松田聖子と中森明菜」

語られている対象はあまりにも大衆的なアイドル歌手についてであるが、本としては実に読み応えがあって、これはもう一つの文化論であった。

日本の歌謡曲やアイドルの歴史の中で、この二人ほどアイドル性と歌手としての実力、そしてそれを素材として作られた作品群が充実していた人はいないだろう。

いったいどのようにしてこの時代にこの大プロジェクトは進行し、創り上げられていったのか。

この本を読むと何故優れたミュージシャン達が松田聖子のもとに結集したのか、TVの歌番組と芸能プロ、歌手たち、そして作詞家、作曲家たちとの持ちつ持たれつの複雑な関係、さらにはレコード大賞が何故凋落して行ったのか、さらには当時の人々の心にアイドルや歌がいかに影響を与えてきたかなどがとても良く描かれていて、実に面白かった。

例えばこんな風である。

松田聖子の曲はその歌詞のほとんどに「あなた」が登場し、目の前にいるその彼に向けての思いを歌うという設定だった。しかし、中森明菜は、「あなた」が出てくる場面でも遠くにいる設定だった。男性と二人で一緒にいる場合でも気持ちがすれ違っている。デビュー以来、中森明菜に一貫していたのは、作詞家でも作曲家でもなく、テーマとしての「孤独」だった。
この時期の松田聖子作品のほとんどを作詞した松本隆は、マンネリに陥らないように、一曲ごとに異なる女性像を描いた。ひとりにまかせたがゆえに、松田聖子作品は多様性を得た。中森明菜はその逆に、ほとんどの作詞家が彼女のためにせいぜい数曲しか書かなかった。彼らは一曲入魂の姿勢で「中森明菜らしい女性像」を描いた。それが結果的に、歌の舞台や人物設定は異なっても、不幸と孤独を繰り返すことになった。中森明菜はあんなに笑うと可愛い女の子だったのに、どうして歌においては笑顔を封印されてしまったのだろうか。作り手と本人に、松田聖子のアンチテーゼであろうという過剰なまでの意識があったのだろうか。
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コメント

「あなた」というキーワードにより、「聖子VS明菜」な訳だったのか。

小生にとっては「水着」というキーワードにより、「聖子VS奈保子」でしたが。。

投稿: 葛飾のオヤジ | 2008年1月13日 (日) 08時29分

>オヤジさん

水着勝負だったら、圧倒的に聖子は勝ち目無いですな。
胸無いだけじゃなくてO脚だから。

デビュー前の審査の時、「この子はO脚だからダメ」と言う理由で失格にした審査員がいたと言う話もこの本に書かれていました。
そんなことでこの天才が世に出られなかったなんてことにならなくて良かったですが。

投稿: TODO | 2008年1月14日 (月) 00時59分

はい、圧倒的に奈保子ちゃん!でした。

投稿: 葛飾のオヤジ | 2008年1月14日 (月) 12時57分

誰か私のプロデュースしてくれないかな・・

TODOさん、どう?(笑)
やってみる????

・・と、からみづらいコメント入れてみました。

投稿: hirorin | 2008年1月14日 (月) 23時05分

>ヒロリン

何やればいいんだ?
素人が面接受けて騙されてAV女優にされちゃうってやつやればいいのか?

投稿: TODO | 2008年1月15日 (火) 21時35分

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