いろいろなことを感じる
最近、いろいろなことを感じるようになった気がする。
その中で一番強烈に感じるようになったのは、自分の周りに起きるいろいろなことや、自分の周りにいる人達が、自分にとって決してたまたまではなく、何らかの意味を持って存在していると言うことだ。
「世の中に偶然はない。全てのことに意味がある」
と言うのは、江原啓之氏の教えであるが、氏を知る前からそう感じることはあった。
それが最近は、ものすごく実感として感じるのである。
例えば、会社の今の上司と部下だ。
これらの人達と日々一緒にいることが、ものすごく自分に色々なことを学ばせてくれている。
それは単に上司から何かを教わると言うだけでなく、部下も私に不足していたり、私が必要としている魂のある部分を持っていて、それを与えてくれる存在に思える。
まるで私になにごとかを学ばせるために、神様が私の前に指導係としてそれらの人たちを配置してくれたのではないかと思うくらいだ。
これは一例だが、色々なことが、1枚ベールが剥がれたように、最近感じるようになってきたのだ。
歳を取ると言うことは決してぼけることではなく、色々なことが少しずつ見えるようになってくることなのかも知れない。
そして徐々に生と死もいろいろ経験することによって、真実が分かっていって、そして何の迷いも無く寿命を迎えられるように出来ているのかも知れない。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
意味が違うかな~このまえ病院へ行った時に、駐車場でふと(先にパンを買ってこよう)と思い立ち、近くのパン屋へ行ってレジに並んでいたら、隣の列に並んでいた人が、僕が引っ越してきた頃仲良くしてくれた方でした。「お互い太っちゃって~」と大笑い!
そんな時は偶然じゃない何かを感じますね~
投稿: salmon | 2007年4月15日 (日) 15時32分
>サーモンさん
たまたま「先にパンを買ってこよう」と思わなかったらその人に会わなかった訳ですよね。そういう不思議な偶然ってありますよね。
だからそういことは決して偶然じゃなくて、何かの意味がある必然なんだと言うことなんだと思います。
その意味をそれぞれが自分で考えることが目的だと言うことなんですね。
投稿: TODO | 2007年4月15日 (日) 22時05分