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2007年3月31日 (土)

「あしたのジョー」

BSでやっている。

BSアニメ夜話スペシャル とことん!あしたのジョー

宿命の力石戦の途中まで見たが、この後の試合の結末は歴史に残る名場面だから、見なくても脳裏に焼き付いている。

このアニメは当時としては奇跡だと思う。

今見ても全く陳腐でない絵の質の高さもあるが、静止画を効果的に使った「間」による心理描写が秀逸なのだ。

きっと静止画を多用したのはいかに手間を減らしながらいかに質を維持するかの工夫の中から生まれたのではないかと思うのだが、当時はアニメは動いてナンボだったはずで、そこにこれだけ静止画による表現を持ち込んだ卓見に敬服する。

「あしたのジョー」が描かれた当時、世は学生運動真っ盛り。若者達が旧来の価値観を破壊し、新しい「何か」を夢中で模索していた激動の時代だった。

マルクス・レーニン主義を信奉した当時の学生運動家達にとって、ドヤ街で育った身よりのないジョーはプロレタリアートの象徴、財閥のお抱えであった力石はブルジョワジーの象徴として捉えられた。

強大な権力や権威を相手に無謀な戦いを挑んでいた彼らにとって、ジョーは戦う自分たちの姿を重ねたヒーローだったのだ。

ジョーが決して力石に勝つことが出来なかったことも、力石は死をもってしか自らの宿命から逃れることが出来なかったのも、その背景を考えれば必然の結末だったのかも知れない。

だからこそ、その宿命の悲しさが見る者の胸を打つのだろう。

若者達が世の中に叛かなくなって久しい。

自分が幸せであるために寄る大樹を求めているだけのような今の若者が、当時のストイック過ぎる生き方をする彼らを見るとどう感じるのだろうか?

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コメント

このころのアニメって、陰でそっと見守るヒロインみたいな人も必ずいますよね。そういう女もいなくなって久しい・・・
あぁいう女性がいないから、男がストイックになってもなーんの得にもならない気がする世の中になってるのかも。

投稿: hirorin | 2007年4月 5日 (木) 00時58分

>ヒロリン

うんうん。飛雄馬の姉ちゃんとかね。
だけどそう思って見ると、力石は白木葉子の気持ちは分かってはいたけれど、もし葉子の存在が無かったら力石はあそこまで頑張れなかったかと言うと・・・やっぱり頑張ったのではないかと言う気もする一方、減量している時に葉子が差し出してきた一杯の白湯があったからその後頑張れたのかも知れないとも思えます。

投稿: TODO | 2007年4月 5日 (木) 22時46分

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