「この世に偶然はない」
と、最近気になっている人物、江原啓之氏も言っている。
リンク: この世に偶然はない:江原啓之・人生相談
「この世に偶然はない」
と言うことは、実は前から薄々感づいていた。
CD屋の店頭でたまたま流れていた音楽がとても心地良く感じた時、そういうCDは買ってみるべきだ。と言うことに気付いていた。そういうCDは必ず後々の愛聴盤になるに違いないからだ。そして、経験的にも実際にそうなる。
この世に偶然がないとすると、実際大変なことになる。
この宇宙に地球があることも、そこに生命が生まれ、ここまで進化してきたことも、決して偶然の積み重ねでなく、何かの力が働いていたからと言うことになる。
それほど大きなスケールではなくて、私の人生の中だけに限ったとしても、今までの人生観を根底から覆すだけの革命的なパラダイムシフトであると言える。
だが、私にはどうもそう思えるのだ。
特に最近、この言葉がしょっちゅう頭に浮かんで離れない。
TODOさんもついに出家が近いか・・・。
と思われる向きもあるかも知れないが、このテーマは非常に影響が大なので、慎重に、また折に触れ書いてみたいと思うのである。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
ビル・ゲイツもこんなことを言っています。
「この宇宙は行き当たりばったりの偶然で成り立っているわけではない。だからあなたも、サイコロを投げるような人生を歩んではならない。」
さ~て、今日は通信教育のレポートでも書こうっと。
投稿: FUKAWAf | 2006年10月14日 (土) 08時52分
北海道の田舎ものの少年が、まさかこうして静岡で暮らし今の職場で働いているなんて、決して偶然なんかじゃないと思ってしまいます。節目節目で人との出会いがあり、そのつど自分で判断してきたつもりですが、実は何かによって導かれ、現在の僕があるのかもしれません。
投稿: salmon | 2006年10月14日 (土) 08時52分
お久しぶりです(o^∇^o)
子供達の通っていた幼稚園が教会併設で・・・
ちょっと宗教っぽいのですが・・・園長先生が良く言ってた言葉。
「あなたがたに起こりうる事は偶然ではなく、そうなるべき事なのです。辛い事、嬉しい事全てが必要な事なのです。だから、無駄な事はないのです。全て、あなた方に必要な事なのです。」と言ってました(*^^*ゞ
まぁ・・・これには神様が立てたシナリオをあなた達は歩いているのです。と言いたいのだろうけど・・・
私はクリスチャンではないけど・・・でも、偶然と言うよりも必要だから起こり得るんでは???と前に思った事を思い出しました(o^-^o)
投稿: バルカン | 2006年10月14日 (土) 09時28分
「偶然」って思うことで、楽になるコトやドラマティックになる時があるからってのもあるでしょうね。偶然だと思うと責任もなくなる感じするし・・
偶然を生み出しているのは自分だから、良い偶然がたくさんある人はそれなりのコトしてるんですよね!
投稿: hirorin | 2006年10月14日 (土) 10時16分
TODOさん、Aloha・・!。
「この世に偶然はない」・・・
自分も中学生位の時から同じような事を
感じていました(今は確信しています)
それは「人生は”運命”によって導かれている」
”運良く助かった”のではなく・・・
最初から”助かる運命”だった・・。
分かれ道で
”偶然右を選んだ”のではなく・・・
”最初から右を選ぶ事に成っていた”・・・
そう、良くなるも、悪く成って行くも・・・
全て定められた運命・・・って・・・。
ちなみに、自分余り宗教には興味ありません・・(笑。
ではでは、mahalo。
投稿: jazz | 2006年10月14日 (土) 13時17分
>FUKAWAさん
やはり宇宙も何かの力で作られたんでしょうかね。
そうなるとその「何か」っていったい何なんだ?ってどうしてもそこに興味が行くのですがね。宗教ってのは、そのすごい存在を「神」と言う一言で分かったことにしてしまうところが私は好きじゃないのです。
>サーモンさん
ほんとに人生にはいろんな節目と言うか分岐点がありますよね。でもそれって後になって分かることなんだよね。あーあの時が岐路だったんだなって。明らかに選択を迫られる時もあるのだけど、そういう時の方が逆に意外と後から振り返ると選択の余地は実は無かったのだと分かったりね。結局、それが目の前にある時には自分が思うように進むしかないのだと思います。そして、自分で決めてきたようでも、実は何かに導かれていたのかもと言うことは、私も思います。さーその「何か」ってのは何だって話になるんだけども・・・。
>バルカンさん
確かにこういう話をすると宗教っぽくなってしまうところに、私も抵抗を感じるのです。まあ宗教ってのはあることを教えるための例え話の体系のようなものかとも思うので、大事なのはその「あること」であって、別に宗教を気にする必要はないのかも知れません。
あらかじめ決められたシナリオを歩くのならば、「努力」や「意思」と言うものの意味はどうなってしまうのだろう? と考えてしまいます。
このへんもまた深そうなのでいずれ考えたいと思います。
>ヒロリン
「あなたは運が良いと思いますか?」と言うのが、面接で相手の考え方を見る一つの質問になってますね。
実際には運の善し悪しなんてないのだけど、それを「良い」と思える人はものごとをプラスに考えられる人。だから自然とまた良い結果を生む。「良い偶然」が生まれるってのはそういうことなんじゃないかな?
>jazzさん
私が感じていると同じことを多くの人が感じているんだなと思いました。
私も最初は宗教っぽい話になっちゃったかなと思ったのですが、上にも書いたけど、宗教ってきっと「真実」を分かりやすく例え話で聞かせるための、まあ言ってみればイソップ童話のようなものなのではないかと今思っています。
私が今気になっているのは、「偶然はない」と言う漠然とした思いが果たして「真実」なのかどうかと言うことなんですね。
これは宗教とは全く違うことだ、と今書きながら思うようになりました。
投稿: TODO | 2006年10月15日 (日) 00時00分