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2006年6月18日 (日)

お葬式

実は先日義母が亡くなり、今日が通夜であった。

 「人は死んだ後、どうなるのか?」

昔から古今東西それが考えられて、また私も考えることがあった。

人が死ぬと、どうなるのかと言うと、それはやはり消滅するのだと、私は最近思うようになった。
霊魂や死後の世界と言うものは、多分、存在しない。

自分もやがて死ぬ。

自分が死ぬと言うことを考えると、今こうしていろいろ考えている意識が消滅してしまうと言うことがものすごく怖くなったりもしたことがあるのだが、考えてみれば自分が死んだと言うことは、自分では分からないのだから、それを心配しても仕方ないのだ。

では何故、人が死ぬと丁重にお葬式をしたり、お墓を作ったり、それを参ったりするのだろうか?
死ぬことがが無になることであり、死者には何も分からないであれば、無駄ではないのか?

私は、お葬式と言うものは、残った者が自分のために行う儀式なのだと思う。

人は死ぬと無になる。それは誰もが心の底では本当は分かっている。
そしていつか故人を忘れ去ることも分かっている。

お葬式とは、そのことを死者に許してもらう手続きなのではないだろうか。

その後に定期的に法要をしたり、お墓参りをしたりと言うことも、それを行うことで、逆にそれ以外の日々の生活の中では忘れていることを許してもらうと言う意味があるのではないだろうか。

 「申し訳ありませんが、明日からあなたのことを忘れます。
  そして残った我々は一生懸命生きていきます。」

それがお葬式なのだ。

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コメント

私もお葬式っていう儀式は残った者のためにあると思ってます。
でも、その理由は・・
①大事な人がまだそばにいてくれるに違いないっていう拠り所。お墓参りとか、そこに行けば姿は見えないけど、心は届いているっていう勝手な思い込みで、寂しさを埋めていると思います。
②整然あまり良いことをしてあげられなかったから、せめてお葬式で「ほら、こんなにあなたの事を思っていたから、成仏してね」という言い訳、または最後の孝行。

こんな感じでしょうか。

投稿: hirorin | 2006年6月20日 (火) 10時37分

>ヒロリン

ヒロリンの意見を読んでいたら、宗教的な行為ってのは結局そういうものなのかも知れない。と思った。
「言い訳」ってのが当たってるかも。
そう考えると、どこかの国の偉い人が靖国に異様にこだわるのも理解できてくるのかも。

投稿: TODO | 2006年6月20日 (火) 21時43分

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